忘れじのレイドバック 2002年9月
9月2日
週末と日曜日は、ボランティアの旅行で、清里・野辺山へ。障害者の利用しやすい旅館やら、バスの手配やら、すべてインターネットで検索。こういうときに、ネットの便利さを実感しました。泊まった場所は、野辺山荘というところ。スロープやトイレなど、配慮が行き届いていて、とても居心地よくすごせました。値段も手ごろ、料理は食べきれないほど。温泉もあるので、もしかしたら穴場かもしれません。
『Z-kan』をつくる前に、教材編集(現代文・小論文)をしていた関係で、その方面の仕事がボチボチ。今日は、A新聞の小論文解答作成の仕事が、編プロづてできました。
そういえば、昔の企画ノートに「コラムニストが解く小論文」とかそんなのを書いてたな。自分でボツにしたけど。著名コラムニストが勢ぞろいで、小論文の解答を書く、という企画。うーん、安直。でも、学校で習う国語って、「コラム」がほとんどないんですよ。「書評文」もない。つまり、文章を面白く書く、というしかけが、国語にはほとんどないんですね。そのあたりの問題提起として考えた企画だったのでした。
9月4日
母親に脳動脈瘤が見つかり入院。横浜までお見舞いに行く。未破裂でなにより。こういうときもネットは便利だ。ある程度、知識を仕入れることができる。
医療のような専門的な分野が日常生活と接点をもつとき、知識格差は権力関係に転じることがしばしばある。知識がなければ言いなりになるしかない。そこで「セカンド・オピニオン」ということが言われているが、その「セカンド・オピニオン」だって「知識」であり、まだ「常識」にはなっていない。
「セカンド・オピニオン」などと言ってられない、切羽詰った状況だってある。そのときにどうするか? これもまた難しい。
ありとあらゆるシーンで「選択」やら「判断」が求められる。でもその一々について、十全な情報や知識があることはない。むしろ、自信をもって判断できる分野というのは、ごくごくわずかな領域でしかない。
だがどうも、ある種の物言いはその判断を強要しているように思える。つまり知らないことは「罪」だと。こうしたメッセージがあらゆる分野で同時多発的に発せられているのだから、受信する側はたまったものじゃない。どんなメディアも、「氾濫する情報におぼれないように」と言うが、情報を氾濫させているのはほかならぬメディア自身だ。まるで、連続放火魔が火事には気をつけましょう、と言っているようなもんでしょうが。
とエラそうなことを言いながら、母親の入院に際して、なにか特別なことを僕がしたかといえば、なにもしていない。ひとまず緊急事態ではなかったことが救いだが、今後の治療方針に関しては「セカンド・オピニオン」をすすめてみようと思う。
9月5日
仕事の打ち合わせで新宿へ。内容はネットワークセキュリティとかISOとかのWEB用原稿書き。まったくの門外漢だが、関心はあるので引き受けることにした。これを機会にコンピュータの基本的なことを勉強できたらいいな。そんなわけでさっそく山形浩生氏が訳した『暗号の秘密とウソ
ネットワーク社会のデジタルセキュリティ 』(翔泳社)を購入。
打ち合わせの帰りに原書房に立ち寄り、出来上がった本をいただく。あっ、まだ書名をこのサイトで発表してなかったっけ。書名は、『同時多発テロがわかる11のQ&A』(ミッチ・フランク 訳 沢田博ほか・原書房)。著者は「タイム」の記者。アメリカでは小学校6年生以上が読書対象ということで、内容はとってもわかりやすい。アメリカ色もそれほどなく、歴史的な背景や事実をきちんとおさえましょう、という内容。編集協力で名前が入っているので、書店に立ち寄ったときにでもみてください。書店には、9月11日から並ぶとのこと。
9月6日
来月より科学雑誌の編集をすることになり、その編集部の下見で要町へ。帰りに寄った要町のブックオフで思わぬ収穫がありました。以前から探していた色川武大の『私の旧約聖書』(中公文庫)とご対面。「まえがき」でいきなり、「まずお金のことをやりましょうか」と来ているのにはビックリ。これは楽しめそうです。
9月8日
退院した母の様子をうかがいに実家へ。やはり元気がない。「脳動脈瘤が破裂するかもしれない」ということが、必要以上に不安を掻きたてているようだ。いつもは勝気な母なので、その落差は余計に大きく感じられる。
母本人は手術を決意したようだが、セカンド・オピニオンに関しては「受けてもいいが、自分から積極的に動く元気はない」とのこと。うーん、こういう場合はどうすればいいのだろう。父は、母の状態から判断して、あまり振り回すのはよくないという意見。それはわかるのだが、脳動脈瘤の手術には、開頭手術とカテーテルを通して行なうものと二通りあって、その選択が難しい。その判断材料として、僕はせめてもうひとりぐらい医者の意見を尋ねてみたいと思うのだが。
ひとまず今週、現在の担当医に手術を受けたい旨を報告するらしいので、それに付き添っていくことにした。
9月12日
やっと小論文解答の仕事が終了。実際に仕事をしたのは、10日と今日と二日間なので、二日で10題の小論文を解いたことになる。
今回の仕事は、朝日新聞の記事が題材となって出題された小論文の解答を作るというものだ。解いていると、「もうちょいまともな問題作れねーのかよ!」と文句のひとつも言いたくなる問題がある。
たとえば、100人の村のもととなるメールを紹介した「天声人語」を課題文にして、こんなことを書かせる。
下線部「その村にいる2人の日本人としても他の98人のことに無関心ではいられない」と筆者は述べているが、その村にいる日本人としてあなたは何をすればよいか。21世紀のあるべき姿や構想づくりについて、あなたの考えを400字以内で述べよ。
こんな大それた内容を400字で書けるわきゃない。そもそも、たかだか18歳の受験生にこんなことを尋ねるのは無茶だ。そして「あなたは何をすればよいか」という問い方自体、「何もしない」という選択をはじめから削除している。「日本人としてあなたは何かをしなければならない」ということが、解答の前提とされているのだ。おそらくホラ吹きのうまいやつほど、高得点ということになるんだろう。
ダメ問題は、まだある。第三世代携帯電話の記事のさわりを出して、「この新しい携帯電話サービスについて、『あなたの期待する機能』、『あなたの期待する利用法』」を書け、という問題。
携帯もってない受験生は圧倒的に不利だし、これも新機能万歳イデオロギーが出題の裏側に透けてみえる。小論文の名を借りたマーケティングじゃないの、と疑いたくもなる。「もう新機能はいらないよ」だってリッパな意見になるはずなのに。
「解いてはいけない!」という本でも作ろうかしらん。
9月13日
昨日に引き続き入試ネタを。
最近、「受験に強い朝日新聞」ということで朝日が盛んに宣伝をしているが、あんな宣伝をして恥ずかしくないのだろうか。そもそも、新聞にとって入試問題になることはそんなに名誉なことなの?
朝日から入試がたくさん出る理由はハッキリしている。それは記事の質が他紙と比べてダントツにすぐれているからでは、断じてない。一番の理由は、書籍広告が多いからである。
一応、大学の教授というものは読書人ということになっている。読書人としては朝日の書籍広告はやはり目を通すものだ。僕だって、記事は大して読まないが、書籍広告はほとんど目を通す。はっきり言えば、書籍広告を見たいがために朝日をとっているようなもんだ。この率は、じつは相当な割合なのではないか、と個人的には思うがそれはさておき。
かくなる事情で、大学教授たちに一番身近なのは、朝日新聞なのである。だから、他紙に比べて出題数がダントツに多いのは、当たり前の話だ。
でも世の中にゃ、わんさか書籍があふれているのに、なぜに朝日新聞から出題するか、という疑問もある。これも答えは明快。
大学教授が怠慢で安直だからだ。
たとえば、国語の現代文の問題作成。これにはいくつかのガイドラインみたいなものがある。そのなかで一番重要なのは、本文の文字数と専門用語があまりないこと。文字数は、おそらく2,000〜3,000字が平均的なところだろう。これは、新聞の夕刊によくある評論文の文字数とほぼ同じ。そして、当然のことながら、新聞に載る文章というのは、専門的な言葉はなるべく控えるよう指導が入るはずだ。
1冊の本から、設問として傍線を引けそうな箇所があって、専門用語を使ってなくて、なおかつ文字数は2,000〜3,000字というキリのいい部分を探し出すという作業は、相当しんどい。ふだん、自分の専門分野の専門書ばかり目を通す教授たちにとっては、うんざりするような作業なのだろう。そんなときに朝日の縮刷版がドラえもんの四次元ポケットのように思えてくるにちがいない。
これは推測だが、相対的に入学が易しい大学になるほど、朝日から出題される率は高いのではないだろうか。僕が仕事で解答したものも、短大の推薦とかいうのがかなりあった。
別に朝日に恨みはないが、あの「受験に強い朝日新聞」のコピーは気に入らないので、ちょっとくさしてみた次第である。
9月15日
昨日買った村上春樹の『海辺のカフカ』(新潮社)を読み始める。まだ、上巻を読んでいる途中だが、荒唐無稽な<出発>から何かを<探し>にでかけるというハルキの方程式は今回の作品でも崩れていない。ハルキは、出発の人であり、トレジャーハンターな人なのだ。
しかし、この人はほんとに何をやらせてもうまい。翻訳もそうだし、ノンフィクションだっていける。音楽業界でたとえれば、売れちゃう山下達郎といったところか。二人は、クリスマスつながりでもある。タツローのセールス的な代表曲は言うまでもない。ハルキのスーパーミリオンセラー(たしかあの当時で300万部とか)の『ノルウェーの森』は、赤と緑の上下巻でクリスマスを連想させたもんだ。
そうなると、龍は誰に当たるんだろう? まあ近いとこだと、サザンだろうなぁ。両方ともデビューで売れたし、ラテン好きだし、エッチだし。なんとなく最近、社会問題に首つっこんでるし。角川文庫から出ていた桑田佳祐の『たかが歌詞じゃねえかこんなもん』の解説を村上龍が書いていたのは、偶然じゃないんですね。
ところで以前にもちらっと触れたが、昨今のパンクブームにあいまって、再びブルーハーツがブームらしい。別冊宝島のJ-POPムックも特集組んでたしね。ブルーハーツはブンガクで言うと誰だろう?これはちょっと難しいので、またいずれ。
9月16日
突然だが、「捨てる生活」を決意した。「生活を捨てる」わけではないので勘違いなきよう。
とにかく部屋が本だらけで窮屈すぎるのだ。去年引っ越したまま開けていないダンボールもいくつかある。主に、CDやテープの入ったダンボール。こんなことになったのも、自分が無意味に本を買いあさった結果なので自業自得。そこで私は考えた。
この先読むことのない本や聞かないCD・テープに大切な空間を占拠されるのは、友だちになりたくない人間に時間を割くのと同じ程度に不毛である。至言だ。
善は急げということで、本日は、終日本の選り分け(主に捨てる本の選抜)作業に終始した。そうすると、本以外のガラクタも出るわ出るわ。僕にはオタク的感性もコレクション趣味もないので、とにかく捨てまくった。
まだ半分も終わってないが、それでも部屋のなかはかなりスッキリ。おかげで父から譲り受けたBOSEのコンポもおくことができた。先は長いが、ひさしぶりに達成感を感じた1日だった。
9月17日
『海辺のカフカ』を読み終えた。ほとんど一気読みである。村上春樹の作品というのは、読んだ後に必ず何か言いたくなってしまう、そういう魔力がある。おそらくこの作品をめぐっても、あらゆる角度から批評や書評の言葉が紡がれるだろう。
ざっと予想しても、当人がインタビューでも語っている文体や人称の問題、それに精神分析方面はまずまちがいない。作品自体が、オイディプス神話のパロディでもあるんだから当たり前だ。疎外論でもいける。自己を支える実質が観念化し、生身の自己を抑圧する事態が「疎外」にほかならないのだから。構造主義でも楽しめる。たとえば、ちょっと意地悪い向きは、蓮實重彦の傑作『小説から遠くはなれて』のこんな一節を取り出して論じもするだろう。
いかにも天涯孤独といった言葉の似合いそうな一人の男が、ふいにそそくさと旅装など整えはじめたなら、ひとまず警戒してかかるにこしたことはない。誰かにある用件を「依頼」されてちょっとした旅に出るとでも洩らした場合には、なお一層、警戒を強めるべきだろう。彼は素人でありながらも、探偵のまねごとを始めようとしているのに間違いなく、世に、探偵を気取る素人ほど厄介ではた迷惑な存在もまたとないからである。
この素人探偵は、他人というものを一切信用しない。謎を解決できるのは自分一人だと確信し、選ばれたことの特権にひそかに誇りさえいだいている。この冒険の手助けになるのは、血をわけた兄弟なり姉妹に限られている。そうつぶやきながらひそかに連絡をとりあうこの二人組は、赤の他人でないだけに、その協力関係もあなどりがたい緊密さを発揮し、とうてい局外者の入り込む余地はなさそうに見える。
いやしかし、村上春樹ほど多様な解釈を許す作家というのもなかなかいない。そして、その魔力からは僕もあなたも逃れられないのだから、あーでもない、こーでもないと、ハルキ談義に話を咲かせるのが一番楽しいハルキの賞味法なのだ。
話は変わって今日の行動報告。新しい仕事がひとつ。冠婚葬祭のムック本のライター仕事。僕の担当は、お見合い、結納など、結婚直前までの部分。20ページ強あるので体力勝負だ。
夜は、Z-kanのときに執筆者としてお世話になった守屋さんと飲み。二軒目から原書房の中村さんも合流。そうそう、このサイトでも紹介した守屋さんの『最強の孫子』(日本実業出版社)がスマッシュヒットで、4刷1万4,000部とのこと。はじめての単独著書でこの部数はすごい。守屋さん曰く、とある出版社では重版率は2割をきってるとか。いずれこの問題はきちんと考えたい。
最後に、守屋さんの新著が出ました。これから読みますが、まずはアナウンス。『人物鑑定法――中国三千年の知恵に学ぶ』(PHP)。前著もそうでしたが、あいかわらずよく調べてます。とくに現代ビジネス書とのリンクは雑読家守屋淳の面目躍如。出版社のみなさん、売れっ子にならないうちに予約したほうがいいですぞ。
9月18日
北朝鮮関連の報道で連呼される「国民は」が耳につく。「国民の納得がゆく」というのは一体どういう状態を指すのだろう。あたしにはさっぱりわからない。ある一国の人間すべてが納得するような事態というのは、ほとんど洗脳に近いんでないの。それこそ北朝鮮は、あらゆる問題について、国民の納得がゆく説明がなされているにちがいない。新聞記者やリポーターは正々堂々と「<私>に納得のゆく説明をしてほしい」と言えばいいじゃないか。
まあいいや。本日は、打ち合わせの帰りに寄ったブックオフで、『トンカツの丸かじり』(東海林さだお・文春文庫)を100円で購入。東海林さだおに特別の思い入れはないが、この本はナンシー関が解説を書いている数少ない本の一冊。そしてナンシーの解説がこれまた秀逸なのだ(だが、まだ本文は読んでない)。
ついでに、駅で買った「ダ・カーポ」についてもあれこれ言いたいが、長くなりそうなのでまた今度。悪口じゃないよ。「ダ・カーポ」おもしろいかも、って話。
9月19日
終日、仕事の関係で学術シンポジウムに出席。大物がいっぱいいましたよ。『痛快!コンピュータ学』(もう文庫になってた)の坂村健氏、田原総一郎と出した『IT革命のからくり』が評判のよい月尾嘉男氏、失敗学で売れている畑村洋太郎氏などなど。
シンポジウムのタイトルは、「フロンティア メカトロニクス」。内容はユビキタスだとかナノテクだとかの最先端をざっと講演するもの。難しすぎて半分も理解できなかった。
個別の講演の感想はさておき、ひとつ気になることがあった。
なにかというと、「周期」を用いた説明がわりと目についたことだ。たとえば、文明を4段階にわけて、一つ段階があがるごとに、人類の増加率が10倍になっているとか、あらゆる産業は30年をピークに衰退するとか。
あやしいコンサルの講演ならいいけど、科学者の態度としてはいかがなものか、と思う。仮にその周期があったとして、なぜそういう周期が生まれるのかを説明するのが、科学的な態度なのではないの? どうも僕は「何年おきに〜が」という考え方は好きじゃない。少なくとも、人為のことがらに関してはまず信じない。
ケチだけつけるのもなんなので、ちょっと面白かった話も。
坂村健氏は、例の「ユビキタス」の第一人者だが、本人はあまりこの言葉を気に入ってなかったらしく、「どこでもコンピュータ」でいいじゃないか、と考えていたとのこと。研究所を作る際にも、「どこでもコンピュータ研究所」としたかったそうだが、周囲の反対に押し切られ、結局「ユビキタス」になった、ということである。
それと、シンポジウムとはまったく関係ないが、その帰り道の駅改札付近で目撃した女子高生(制服着用)にビックリ仰天。お菓子やアイスを食べながら歩いている女子高生は、これまで何度も見かけたが、その女子高生の喰ってたもの、それは、
ペヤングソース焼きそば だった。
改札付近はペヤングソース臭が蔓延。死人が出なかったのがなによりの救いだ。あれはほとんど犯罪である。あーゆーのこそ「逝ってよし」というのだろう。
9月20日
斎藤美奈子もどこかで書いていたが、『ダ・カーポ』が最近おもしろい。たとえば最新号の特集、「神様ヘルプ! みんなが苦手な宗教2」。体外受精やらクローンやら脳死といった問題に対して、各宗教団体に一斉アンケートをし、その結果の掲載している。予定より字数がオーバーしたのかフォントがやたらに小さいのが気になったが、いい企画だ。「宗教が要の小説案内」も、意外とあるようでなかった企画かも。
それに比べてひどいのが、新潮社とユニクロがタッグを組んで出した『考える人』とゆー季刊雑誌。まだ創刊号しか出てないので結論を出すには早いかもしれないが、創刊号の特集が「養老孟司とイギリスの田園都市を歩く」。いくらなんでもこれはないんじゃないの。NHKの旅番組じゃないんだからさ、大物使って外国歩かせていっちょあがり、で一体どこが「考える人」なんだろう。
もうひとつ話題としては、大塚英志と東浩紀が責任編集をしている『新現実』があるが、これは内容を問題にしてもしようがない雑誌で、<低予算で雑誌を作る>という「実験」として評価するべきだろう。業界関係者は最後のあとがきだけでも読んだほうがいい。あわせてここを読んでみるのもいいかもしれない。
9月22日
今日の「天声人語」は脳動脈瘤についてだった。僕にとっては、なによりもタイムリーなトピックである。母は手術を決意し、今週入院し手術を受ける。
脳動脈瘤に関するデータは、現時点では非常に薄い。データをもとにして何事かを言うべきではない段階だと思う。
では「天声人語」は何と書いているか。たいした長さではないので、全文引用しよう。
脳の血管にぷっくり膨れている部分がある。脳動脈瘤(りゅう)だ。運が悪いと、明日にでも破裂するかもしれない。
こう言われれば、だれしも大きな衝撃を受ける。そのとき、破裂を未然に防ぐ手術もできると説明される。手術を受けますか。そう問われて冷静に判断できる人が、いったいどれくらいいるだろう。
兵庫県の65歳の女性は「破裂の危険性に比べれば手術の危険性の方がずっと低い」と説明された。破裂を心配しながら暮らすか、手術を受けて安心して暮らすか、選ぶのはご本人と家族だと医師に言われ、手術を決断した。ところが、その手術の後、右半身がまひし、言葉が出なくなった。手術から2年たつが、自分で起きあがることもできない状態が続いている。
家族がやりきれないのは、術後に執刀医から「手術をしなければよかった。破裂の可能性は1、2%だった」と聞いたことだ。手術に危険がつきものであることはわかっている。しかし、破裂の危険性がそんなに低いとは聞いていなかった。
日本脳ドック学会が作ったガイドラインでは、動脈瘤が5ミリ前後より大きく、70歳以下の場合は手術を勧めるとしている。様子を見る場合は、1年ぐらいで再検査し、瘤(こぶ)が大きくなっていたら手術を勧める。大多数の瘤は、どんどん大きくなるようなことはないとある。
それなら、1年様子を見るのを基本としたらどうか。1年あれば最初の衝撃も和らぎ、情報を集めたり、他の医師の意見を聞いたりできるだろう。医療機関は、患者と家族が冷静に決断する手助けをしてほしい。
兵庫県の事例はひどい話だと思う。家族の方はさぞかしやりきれない思いだろう。でも、この事例やガイドラインの語句から「1年様子を見るのを基本としたらどうか」という結論は導きえない。そもそも動脈瘤の大きさや形、部位、発見の年齢がまちまちである以上、そのすべてに適用可能な「基本」など、あるはずがない。
母の担当医が言っていたことだが、患者にとっては100%か0%か、どちらかしかない。本当にその通りだと思う。どれだけ統計的なお墨付きがあっても、それは100%の成功を約束するものじゃない。
母の様子を見ていると、動脈瘤が見つかったことによる心理的プレッシャーは予想以上に大きかった。当初は食事もろくにできず、動作ひとつひとつに「破裂したら」という不安がつきまとっていた。とてもじゃないが、1年もつような状態には見えなかった。
それでも少しずつ元気になっていったのは、担当医の丁寧な説明によるところが大きいし、実家の家族や親戚のケアがあったからだと思う。
「冷静な決断」を手助けするのは医療機関だけじゃない。患者に対して家族はどう接したらいいのか、患者と家族は医者とどう接すればいいのか、「言論」に関わる者にとってもまだまだ耕すことの足りていない畑だと思う。
9月25日
英語、日本語、算数と主要三教科本がよく売れてるが、その売れ行きと日本人の学力平均値とはおそらく比例しないだろう。というより、きっと下がってるんだろうな。
小学生の算数の学力が、20年前に比べておそろしく下がっているという記事を読んだが、まあ今に始まった指摘じゃない。子どものアクセスできるメディアが増えれば増えるほど、一つのメディアへのコミットは相対的に低下するのは当然といえば当然の話だ。
ひょんなことから、最近71歳のおばあさんとメールをしはじめた。いわゆるメル友ってやつ。どうやら家が近所なので、そのうちデートもしようと思っているが、それはどうでもいい。
そのおばあちゃんは、現在、中学校の通信課程を受けている。戦争で学校に行けなかったからだ。でも、メールの日本語もすごくキレイなんだよね。ボランティア好きで、朗読ボランティアなどをけっこうしていたとのこと。で、中学の勉強をできることを「求め続けてやっと得たチャンス」と言ってるの。僕はなんだか泣けてしまった。
それに引き換え……という野暮を言うつもりはない。でも勉強することがチャンスだってことは、もう少し伝えてもいいのかも。僕の父の世代だって、高校に行けるのは恵まれている、っていう認識だったらしいし。
で、100人の村の話ではないが、時間軸だけでなく、空間軸でみても、学べることはチャンスなのだ。だから何だと言われると困るが、チャンスであるものは「チャンス」と認識するのがフツーなのに、チャンスを当然と思わされてしまうところに、子どもの不幸があるような気がする。
9月26日
母の手術が無事終わった。6時間以上にわたる大手術だったが、手術は成功。術後の面会でも意識ははっきりしていて、簡単な会話を交わすこともできた。ほんとによかった。
今回のことでは、いろんな方がアドヴァイスをくれたり、励ましのメールを送ってくれたりした。その一つ一つに、どれだけ助けられたことか。この場を借りてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
9月27日
歴史コミックの不朽の名作『風雲児たち』(みなもと太郎)が再開してたとは!? さっそく「幕末編(第一巻)」(リイド社)を買って読む。あのテンションはまったく落ちてない。
『風雲児たち』がどういう作品かは、ちょっと検索すればいくらでも絶賛の評が読めるはずなのでここでいちいち書かないが、僕に子どもがいたらこれは必読書に指定する。だってこれさえ読めば、江戸時代に関しては博士級にくわしくなれる。それも笑い転げながら。
とにかく未読の方は、なんらかの方法で手に入れるなり借りるなりして、読むにかぎる。ちょうど現在、過去の作品についても、リイド社からワイド版も出ているので、入手するなら今が一番。さあ、書店へ走れ!
9月29日
坪内祐三氏の『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)は、主として1979年をめぐって書かれた文章を集めた評論集。「1982年の『福田恆存論』」と題した卒業論文は、坪内フリークにはたまらないかもしれない。
またまた音楽のたとえで恐縮だが、坪内祐三はオザケンだと思う(年齢は全然違うが)。さまざまなアイテムやツールが出尽くしたあとに、それをメタな地点で奏でたり語ったりするのではなくて、確信犯的にアイテムを使い、自らにとっての音楽や文学を探す。なんつーのかな、批判ごっこから一歩抜け出してちゃんと自分で作ってる、という感じがする。
だからこそ、坪内祐三は、「古くさいぞ」と言いながらとても「新しく」感じられるのだ。